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浦和地方裁判所 昭和53年(ワ)1067号 判決 1981年4月22日

原告 倉石和雄 ほか一名

被告 埼玉県 ほか二名

代理人 細井淳久 岩田栄一 中島重幸 阿南一徳 石川利夫 ほか七名

主文

一  被告新井靖男は、原告らに対し各金五六三万九、八五四円及びこれに対する昭和五三年一二月一五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告新井靖男に対するその余の請求及び被告埼玉県、同上尾市に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告らと被告新井靖男との間に生じた部分を三分し、その一を被告新井靖男の負担とし、その余を原告らの負担とし、原告らと被告埼玉県、同上尾市との間に生じた部分は全部原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。

事  実<省略>

理由

一  真次の死亡について

原告らの二男である真次が昭和五三年三月一七日午後二時三〇分ころ本件畑内に存した本件屎尿溜に転落して窒息死亡した事実は、原告らと被告県、同市との間において争いがなく、原告らと被告新井との間においては、<証拠略>によつてこれを認めることができる(但し、真次が右の日時に本件畑内で死亡した事実は当事者間に争いがない。)。

二  被告新井の責任について

(一)  本件屎尿溜は、被告新井が昭和五二年八月ころ乳牛のふん尿溜として本件畑内に、掘削設置し、以来右被告において、これを占有、所有していた土地の工作物である事実は、当事者間に争いがない。

(二)  そこで、本件屎尿溜の設置及び管理の点についての瑕疵の有無について判断する。

本件屎尿溜が素掘りのものであつて、その北部及び北西部に掘削土が約三メートルの高さに堆積されていたこと及び市道とその南側の本件畑との間に本件柵が存在したことは、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告新井は、昭和二二年六月ころから酪農業を営み、同五三年三月当時成牛二三頭、未経産牛八頭を飼育していた者であるが、そのふん尿を自己所有の畑に投棄していたところ、その投棄個所が市街化区域となつたため、同五一年ころ本件畑の南側に存する同所二二八番付近の畑に素掘りの屎尿溜を設け、これに乳牛のふん尿を貯溜していた。しかし、右屎尿溜とその北側に存する幅員五・三メートルの市道(通学路になつている。)との間には、何んらの柵も存しなかつたため、右市道を通行する幼児が自由に右屎尿溜付近に立入ることができたところから、危険を慮つた一市民の通報に基づく被告市の市民相談室の行政指導により、同五二年六月ころ被告新井において、右市道と本件畑とが接する約四〇メートルのうち本件畑の東北端(ブロツク塀に接する箇所)から市道に添い約二五メートルにわたつて本件柵を設置した。

2  本件柵は、右市道から約三〇センチメートル高くなつている本件畑(但し、右畑の土は崩れて傾斜をなしている。)の内側約三〇センチメートル前後の位置に、丸太、孟宗竹古角材の支柱九本に太さ五ないし一〇センチメートルの孟宗竹の横桟を約二〇ないし二八センチメートルの間隔で直経約三ミリメートルの鉄線で固定したものであつて、本件畑東北端のブロツク塀から約一四メートルの位置に雨戸二枚を取り付けた出入口を設け、その東側は横桟四段、西側は横桟三段でいずれも高さは約一メートルであつたが、右孟宗竹の横桟は先の方が細くなり、また曲つたものがあつたから子供がこれをくぐり抜けることは容易であり、また、これを乗り越え、もしくは本件柵の西側を迂廻すれば、自由に本件畑に出入りすることができた。また、本件畑及びこれに接続する前示二二八番の畑の面積は約一、二〇〇平方メートルであつて、その北側、西側部分には野菜が栽培され、更に右北側の野菜畑の西側には満天星つつじ、五葉松等の苗木が植栽されており、本件畑の東側には樫等の立木が約一メートル間隔で植えられ、更にその南は隣家の榊の生垣に接し、更にその南側は他人の栗畑に接していた。

3  被告新井は、同五二年八月ころ前示屎尿溜を埋め戻し、その北側付近に素掘りの本件屎尿溜を設置し、以来これに前示乳牛のふん尿を運び入れ、一杯になるとこれを他の畑に運んで撤布していたが、本件事故当時右ふん尿の量は、地表面から約三〇センチメートル下の水位まで存した。右屎尿溜は、前示市道から南側へ約六メートル離れた場所に位置し、一辺の長さ約八・五メートル、約一一メートル、約一五メートル及び約一五メートル、面積約一三〇平方メートルを有する略々台形のものであつて、深さは端の方が約一メートル、中心部が約三メートルの舟底型をしていた。そして、右掘削した土は、右屎尿溜の南、東部に土手状に積み上げたほか、西側及び北側に屎尿溜の端に接し山状に積み上げたが、北側の掘削土の高さは約三メートルの山状をなしていた。そのため、北側の市道からは、右掘削土の山に遮ぎられて本件屎尿溜を認めることはできないが、右掘削土の山の南側斜面を滑り降りた場合には、右屎尿溜に転落する危険が大であつた。なお、本件屎尿溜に転落した場合、右屎尿溜が前示のような構造を有するため、大人でも這い上ることは容易でなく、被告新井の放牧中の牛二頭が右溜に転落して弊死したこともあつた。

4  本件畑付近には、農家が散在する程度であつたが、宅地開発が進み、右畑から三ないし四〇〇メートル離れた地域には住宅が密集するようになり、また、右畑から約五〇〇メートル離れた位置に子供の遊び場である錦町公園も存していたが、本件屎尿溜の北側に存した前示掘削土の山は、格好な遊び場として子供の注意を惹き、屡々遊び場とされ、付近住民から同所で遊ぶ子供に注意されていた(本件屎尿溜設置以前も同様であつた。)が、本件事故当日の午後三時ころにも、右掘削土の山で遊んでいた二人の子供が被告新井に注意されて退去した。

5  真次は、本件事故当日の午後一時ころ原告リヤウに対しゲームセンターと公園へ行く旨述べて自転車に乗つて遊びに出掛けたが、右自転車は自宅から数百メートル離れた本件畑の東北端のブロツク塀付近で放置されており、前示掘削土の山の南側(本件屎尿溜に面した部分。)の斜面に滑り降りた形跡が存し、同人の屍体は右山付近の本件屎尿溜から発見された。

以上の事実を認めることができる。もつとも被告本人新井靖男は、本件屎尿溜の面積は約五〇平方メートルであつた旨供述(第一回)するが、右供述は、<証拠略>に照らして信用できない。また、証人渡辺昭雄、中村信一は、本件柵の東端とブロツク塀とは三、四メートル程離れておりその間を自由に通行できる状態であつた旨各供述し、<証拠略>にも同旨の記載が存するが、右各証拠は、<証拠略>に照らして措信できない。以上の認定に反する<証拠略>は、前顕各証拠に照らして措信できず、他に右認定を動すに足りる証拠は存しない。

右に認定した事実によれば、真次は、本件柵をくぐり抜け、またはこれを乗り越え、或いはこれを迂廻して市道から本件畑に立入り、本件屎尿溜の北側に存した掘削土の山に登り、滑り降りをして遊んでいるうち、誤つて右屎尿溜に転落死亡したものと推認するのが相当である。右推認を覆えすに足りる証拠は存しない。

(二)  右にみたところによれば、前示掘削土の山は格好な遊び場として子供の注意を惹くものであつて、この山から滑り降りた場合本件屎尿溜に転落する危険性が大であり、右屎尿溜に転落した場合大人でも容易に這い上ることができなかつたというのであるが、現に右掘削土の山に登りこれから滑り降りて遊んでいた子供もいたというのであるから、子供達が右の山ないし本件屎尿溜に近付けないように防護設備を要すものというべきところ、本件屎尿溜には、これに近付かないように本件柵が設置されてはいたものの、不完全であつたため、容易に市道などから本件畑に立入り本件屎尿溜ないしその北側に存する掘削土の山に達しえたというのであるから、通常有すべき危険防止の措置を欠き、いわゆる土地の工作物の設置、管理につき瑕疵があつたものといわなければならない。

従つて、被告新井は、原告らに対し本件事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。

三  被告県の責任について

原告らは、被告県の機関たる知事が廃棄物の処理及び清掃に関する法律による行政指導ないし同法に定める権限を行使しなかつたこと及び被告県が埼玉県公害防止条例による行政指導及び同条例に定める権限を行使しなかつたのは違法であると主張する。

(一)  しかしながら、行政指導とは、行政機関が公の行政目的を達成するため、行政客体の一定の作為、不作為を期待し、その自発的な協力、同意のもとに実行するよう働きかける事実行為を指すところ、本件において、原告らの主張する行政指導なるものは被告県が法第一五条第四項の改善命令、使用停止命令及び埼玉県公害防止条例第一三条の計画の変更又は廃止の勧告、もしくはその命令をする権限を発動する前に、行政客体の任意の協力を得て強権発動から生ずる摩擦を避け、行政目的を達しようとする場合のものを指し、その客体は被告新井であるというのであるから、第三者に過ぎない原告らにおいて、被告県の被告新井に対し任意の協力を期待してする行政指導を云々できる筋合いのものではなく、況んや被告県がその行政指導をしなかつたことをもつて本件事故の原因であるとする原告らの主張は、当裁判所の到底左袒しえないところである。

(二)  次に、行政庁が法第一二条第三項、第一五条第四項、第一九条、第一九条の二、または法第四条第二項の権限を行使するには、権限行使の要否、その時期、内容等に応じ、産業廃棄物を適正に処理し、及び生活環境を清潔にすることにより、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ることを目的とする同法第一条所定の行政目的を達成する観点から、同法違反の内容、程度、それによる環境の破壊の程度、付近住民の被害の程度、その他諸般の事情を総合考慮した行政庁の合理的判断によつて決せられるべき自由裁量に委ねられていると解すべきものであり、このことは、法第一条の趣旨、及び右権限の性質に照らして明らかである。また、埼玉県公害防止条例は、公害を防止して、県民の健康を保護するとともに生活環境を保全することを目的とするものであるから、条例第一三条による作業計画の変更、廃止の勧告、第一七条、第一八条による是正措置の勧告、命令、第一九条の使用停止等の命令も、また、知事の自由裁量に委ねられているものと解するのが相当である。したがつて、知事の権限不行使が原告ら付近住民との関係において違法となるのは、その権限不行使が著しい裁量権の濫用に該る場合に限られるものというべきである。

そこで、以下、本件についてこれを検討する。

1  乳牛のふん尿が法にいう産業廃棄物に該当することは明らかであるが、前叙認定事実によると、本件屎尿溜は産業廃棄物の保管施設であつて処理施設ではなく、その面積も一、〇〇〇平方メートル未満のものであることが明らかであるから、法第一五条第四項、第一九条、第一二条第三項、第一九条の二の権限不行使を理由とする原告らの主張は、その前提において失当である。

2  被告新井が本件屎尿溜においてした産業廃棄物である乳牛のふん尿の保管について、悪臭が生じ害虫が発生していた旨の記載ある甲第一二、第一三号証をもつてしては、いまだ被告新井の右ふん尿の保管が法第一二条第二項、同法施行規則第八条の基準に違反したものと認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠も存しないから、法第一二条第三項による被告県の権限不行使が違法であるとの原告らの主張も、その前提において採用できない。

3  法は、その第四条第二項において、「都道府県は、……当該都道府県の区域内における産業廃棄物の状況をはあくし、産業廃棄物の適正な処理が行われるように必要な措置を講ずることに努めなければならない。」と規定しているが、右は、条項の位置、文言からみても明らかなように、都道府県の産業廃棄物に関する責務を抽象的に宣言したに止り、都道府県の具体的な権限、責務を規定したものではないから、これを根拠とする原告らの右法条の権限不行使に関する主張は、失当である。

4  埼玉県公害防止条例第七条に基づく悪臭に関する規制規準は、昭和五四年に設定されたものであつて、本件事故当時の昭和五三年には存しなかつたし、また、知事が右条例第八条に基づき本件屎尿溜につき悪臭防止措置が必要と認定しなければならないほどの悪臭が発生していたとの事実を認めるに足りる証拠は存しないから、右悪臭の存在を前提とし、右条例上の権限不行使を理由とする原告ら主張は、その余について判断するまでもなく、理由がない。

(三)  以上のとおりであるから、原告らの被告県に対する請求は、産業廃棄物処理施設に係る事務が国の知事に対する委任事務であつて、被告県に国家賠償法による損害賠償義務が存するかどうかについて判断するまでもなく、いずれも理由がないものといわざるをえない。

四  被告市の責任について

(一)  被告市が、昭和五二年六月ころ、附近住民からの苦情を通じて、被告新井が本件屎尿溜を設けていることを知り、被告新井に対し、安全対策等を行政指導し、被告新井において右指導に基づいて本件柵を設置した事実は、当事者間に争いのないところであるが、右行政指導は、前示のような性格を有するものであつて、しかも、地方公共団体の事務を定めた地方自治法第二条第二項、第三項などの法令に根拠を有するものでもないし、また行政庁の権限発動の前段階としてなされるものでもなく、いわば市民へのサービスとしてなされるものであるから、そのサービスが、第三者に過ぎない原告らとの関係において、国家賠償法第一条に規定する違法な公権力の行使に該当しないことは明らかである。

従つて、被告市の右行政指導が違法な公権力の行使であることを前提として被告市に対し損害の賠償を求める原告らの請求は失当である。

五  原告ら損害について

(一)  真次の逸失利益 金一、五一九万九、二七四円

<証拠略>によれば真次は死亡当時満六才二か月の健康な男子であつたことを認めることができるから、同人が本件事故に遭遇しなかつたならば、一八才から六七才までの四九年間就労し、その間賃金をうべきところ、本件事故によりこれを失い、損害を被つたものというべきである。ところで、<証拠略>を総合すると、昭和五三年賃金センサスの産業計学歴計企業規模計の男子労働者の平均年収は金三〇〇万四、七〇〇円であることが認められるので、同人の生活費をその五〇パーセントと認めてこれを控除したうえ、ライプニツツ式計算法により民法所定年五分の割合による中間利息を控除し右四九年間の得べかりし利益の現価を算定すると、金一、五一九万九、二七四円となる。

その算式は、次のとおりである。

3,004,700×50/100×10.117=15,199,274

(年収)(年利益)(ライプニツツ係数)(現在価)

(二)  真次の慰藉料 金二〇〇万円

本件事故によつて死亡した真次の慰籍料は、金二〇〇万円と認めるのが相当である。

(三)  そして、前示認定事実によれば、原告らは、真次の父母として、真次の前示損害賠償請求権(逸失利益及び慰藉料)を、各相続分二分の一宛遺産相続によつて承継取得したものということができる。

(四)  原告らの慰藉料 各金四〇〇万円

原告らが本件事故によつて真次を失い、精神的に甚大な精神的苦痛を味つたであろうことは容易に推察することができ、本件記録に顕われた諸般の事情を勘案すると、右精神的苦痛は、各金四〇〇万円をもつて慰藉さるべきものと認めるのが相当である。

(五)  葬儀関係費 各金二五万円

<証拠略>を総合すると、原告らは、真次の葬儀費用、仏壇、位脾購入費用等として、合計金一八三万五、八〇〇円を支出した事実を認めることができるが、本件事故と相当因果関係のある損害は、右金員のうち各金二五万円と認めるのが相当である。

(六)  進んで、過失相殺の点について判断する。

前叙認定事実によれば、真次は本件事故当時六才の幼児であつたが、本件事故当日自転車に乗り自宅から数百メートルも離れた本件屎尿溜北側の市道まで到つたというのであるから、その行動半径はかなり広範囲に及んでいたものということができるとともに、立入つてはならない場所、危険な個所とか危険に際しての身の処し方等については、かなりの分別力を備えていたものと推認できる。そして、真次は不完全なものであつたとはいえ立入りを禁止するための本件柵が存したにも拘わらず、右市道から敢えてこれをくぐり抜けるか、これを乗り越え、もしくはこれを迂回して、被告新井の所有する本件畑に立入り、更に本件屎尿溜に転落する危険のある掘削土の山に登り、これを滑り降りして遊んでいるうち、誤つて、本件屎尿溜に転落し、もつて本件事故の発生をみるに至つたとの前叙認定事実を総合すると、原告らの真次に対する平生の指導、教育等監護の点に欠けるところが大であつたものといわなければならない。そこで、原告らの右過失を被害者側の過失として損害額の算定について斟酌すると、原告らの前示損害額は四割、すなわち各金五一三万九、八五四円の限度に止めるのが相当である。

(七)  弁護士費用 各金五〇万円

本件記録に弁論の全趣旨によると、原告らは、被告新井に対する本件の損害賠償を求めるため、弁護士大治右らを訴訟代理人に選任し、本訴提起とその追行を余儀なくされた事実を認めることができるところ、本件事故と相当因果関係を有する弁護士費用は、原告らにおいて各金五〇万円と認める。

六  結論

以上の次第であるから、原告らの被告新井に対する請求は、いずれも金五六三万九、八五四円及びこれに対する本件不法行為後の昭和五三年一二月一五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては理由があるから、これを認容し、被告新井に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 長久保武 大喜多啓光 山田知司)

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